平成27年予算委員会1款議会費~9款教育費補足( 3月 9日)
さよなら公会堂企画
○根岸光洋委員  済みません、時間が余りないということなんで短目に。私のほうからは、重点事業の中のさよなら公会堂企画、これについて伺いたいと。予算100万円ということで、事新規事業でございます。27年、ことしをもって閉鎖される、閉館するということで、この事業について簡単に内容を。文化デザイン課長いらっしゃらないけれど、いいですか。
○栗原文化商工部長  文化デザイン課長おりませんので、私のほうからお話をさせていただきます。こちらは、未来文化財団に対する補助事業の中の拡充部分といたしまして、いよいよその役目を終える公会堂の記念誌をつくるということで、100万円計上しているものでございます。
○根岸光洋委員  60周年のときにも記念誌が、80周年の区制施行の記念としてありましたけれど、これと同様なものという形ですか。
○栗原文化商工部長  これまで把握している中では、40周年、50周年、60周年と周年ごとにつくってまいりました。基本的に金額等も同額程度でございますので、それと同じような、また、もうちょっと気合いを入れて財団のほうでつくっていただけると思うんですけれど、一応そうした、それをお持ちいただいて、やはり六十数年にわたる歴史がある公会堂をきちんと足跡を残していけるような、そういったものにしていきたいと考えてございます。
○根岸光洋委員  よくわかりました。それで、この豊島公会堂については、本当に成人式、私も成人式をここでやりましたけれど、消防団の始式までやったり、区民体育大会の総合開会式をやったり、教育研究会発表会をやったり、さまざまな、危険ドラッグのそういった撲滅の大会をやったり、宣言をやってこられたということは重々承知でありますけれども、昭和27年、この公会堂ができたときの、この冊子の中にあるんですけれど、建設費を見ると6,893万円と。
このうち、公会堂の建設協賛金の寄附金が1,198万円あったと記されております。約17%。当時の大正製薬の社長が代表となって区民3,053名の方が寄附をされ、三越百貨店からどんちょうが寄贈されたとなっています。こういった方の氏名も銅板に刻まれて保管がされているということですが、今はさよなら公会堂記念では冊子だけということでしたけれども、こうした銅板とかどんちょうとか、公会堂に今残っているものはどうやって保管していくのか、これについていかがでしょうか。
○栗原文化商工部長  銅板については、新しいホールにきちんと引き継ぐということになってございます。どんちょうは、ちょっと今、記憶にございませんが、銅板についてはきちんと、それはお一人お一人御寄附をいただいた方のお名前が刻まれておりますので、それについては保存していくという、そういう方向でございます。
○根岸光洋委員  公会堂の建設については、昭和27年の2月23日、豊島区議会が全員賛成で議決をしたと記されてございます。それだけ区民待望の公会堂であったと思いますし、若干さかのぼって、この中に書いてあることを読みますと、昭和20年の4月13日の東京大空襲で豊島区が都内で2番目の被害、区の70%が焦土と化した。人口31万人中16万人が罹災をするという悲惨な状況だった中で、旧豊島公会堂、今の帝京平成大学のあたりにあったこの公会堂も焼失し、壊滅的な打撃を受けたと記されてございます。その戦後復興の中で待望の文化施設として建設されたのが、この新豊島公会堂でございました。建設費が不足する中、8カ月間の工期で徹夜で行われたということで、起工式のときには横綱の羽黒山関が来て、大相撲の土俵入りも行われ、また、落成式の当日には2日間にわたって中村勘三郎さんのこけら落とし公演として大歌舞伎が行われたというんですね。まさに本当に文化、今の豊島区が目指す方向の礎となった行事が行われてきた歴史と伝統のあるものだと思います。私たち区民にとっても大変すばらしい記憶に残る、残していかなければいけないものだと思います。
それが記念誌として残る、記念誌を100万円で補助してつくるということも大変すばらしいんですが、やはり何かもっとこの記念となるものを永久にというか、後世に残していくようなものもやっていただきたいなと思っております。その意味では、言霊といったら変ですが、そこにあったものを、しみ込んでいる公会堂の床材とか天井材とか、また階段の石とか、そういったものを記念品としてつくって関係者、また区民に配るとか、そういったこともぜひ検討していただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
○栗原文化商工部長  そこにあるものをどれだけ資料として残していくのかということは、今後きちっと検討させていただきたいと考えてございます。また、ソフトな事業、例えば最後の事業をそこで、どんな形でできるのかというのは、現在検討中でございますので、また案が決まり次第、議会の皆様方に御報告をしてまいりたいと考えてございます。
○根岸光洋委員  また、この中身を見ると、第二の丸の内構想として、当時の高田町長だったその方が、須藤さんですか、区長に当選したときは、この池袋に城北文化の殿堂を建設するということで、第二の丸の内とするんだ、そういうような思いを持って、ふるさと豊島区の再建を願ってつくった、そういう城北文化の大殿堂だということが公会堂の歴史として刻まれてございます。
その意味でも、今度、現庁舎、また議場も今年度をもって、この4月をもって閉館されますけれども、そういった3点セットでぜひ、現庁舎、議場、そして公会堂の記念となるようなものを何か3点セットで僕は発売してもいいんではないかぐらいに思っているんですけれど、そういうのをつくっていただいて、また、こういう記念として残していただきたいなと思っておりますし、また、物でもなくて、精神としても、今度の新公会堂が予定されていますけれども、十分に、このいろんなさまざまな、歌舞伎から大相撲からいろんな、NHKの歌合戦まで行われた、この伝統と文化、歴史、それをさらに豊島区の将来の未来に向かって残し伝えていくためにも、新公会堂にもそのようなものを組み込んでいただきたいですし、もしこの公会堂を建設するに当たっても、全区議会議員が、全員が賛成した議決をして進めていきたいと、このように思っているところでございますので、よろしくお願い申し上げます。
○高野区長  公会堂もあと1年になりました。今回は予算に100万円の計上でありますけれど、62年間の歴史というのは大変、今おっしゃるように、重いものがあります。この1年間の間に十分この歴史をしっかりと踏まえて、そしてまた、それを後世に伝えていくというような大事な、今おっしゃったような、まさに文化の発祥というような強い思いもございますので、ただ単なる記念誌で終わらせないで、本当に62年間の思い出がしっかりと刻まれるような、少なくとも今までにないようなものを組み入れていきたい、そんな思いをしておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。